北海道大学楡庭会

   楡庭会会員の動向です 

□ 中京楡庭会 夫馬名誉会長を送る

  中京楡庭会 夫馬名誉会長が4月3日お亡くなりになりました。

   中京楡庭会の中心メンバーとして長く活躍されました。

   特に当地区で現役の春合宿が行われた際には、ご自身の人脈を生かした   

   コート予約、テニスコーチの派遣と大変お世話になりました。

   
   小山先生が退官された際には、夫馬名誉会長のコートに全国からOBが

   集まり盛大に小山先生退官記念テニス会を開催できました。

   王座戦、インカレ大会が岐阜開催で定着し、七大戦に、現役春合宿には

   必ずと言って良いほど応援、激励に駆けつけて下さいました・

    

               2013年 秋のテニス会   於) 桑名


       振り返って見ますと多くのエピソードが思い出されますが、その中でも

   特に強く残っていますのは、小山昇元庭球部長の退官記念東西テニス大会が

   夫馬さんのご尽力で中京で盛大に行われたことです。

   今からですと40年前(1981年)になりますが、ご自身所属の一の宮ガーデン

   テニスクラブを1日貸しきって全国から40名以上のOB/OGが集まり 盛大に

   退官記念東西テニス大会を開催することが出来ました。
   
   
     
              2014年 総会 於) 名古屋百楽


     その後、後任の庭球部長となられた山科先生(教授)が、名古屋大学の

   プラズマ研究所に来られ機会が多く、その折にはラケット持参で来られ、

   このコートで夫馬さん以下の中京メンバーとテニスを楽しまれました。

    当時先生の口座には助教授が毛利 衛氏(のちに宇宙飛行士)で何度か

   来られてテニスを楽しまれました。 テニス後の夕食会の折に宇宙飛行士に

   応募していることの発表があり、皆で激励の乾杯をしましたが、やがてそれが

   正夢になりました。 当日出席した我々にとって誇らしい思い出です。

    

           2018年 懇親会  於)名古屋主税町クラブ


   中京楡庭会の懇親会では、北大当時のエピソードには驚かされるものがありました。

   その一つは 札幌での木下大サーカスの開催中にサーカスに出ている象が

   死んだが、当時三浦雄一郎氏が獣医学部にいたので、獣医学部で解体した

   のに立ち会ったそうです。

    三浦氏に係るエピソード等 北大時代からの数多くの興味深いお話を

    飄々とした語り口でお話になりました。

   もうその興味深いお話を聞く機会が無くなってしまったと思うととても残念です。

   平成30年5月12日コート改修記念懇親会には中京楡庭会代表として参加され

   皆様と楽しく話されたとお聞きしていました。


   近年は健康が優れないとお聞きしていましたが、コロナ禍のため

   お会いできることもない中、突然の訃報でした。

 
   心よりご冥福をお祈り申し上げます。

   合掌

 
   令和3年4月11日   中京楡庭会  大浦 裕

菅谷女子客員元コーチが 平成31年3月30日ご逝去されました。

  謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



女子の黄金時代を支えて下さった菅谷秀治元コーチの葬儀に際しまして、

楡庭会からの弔電・香典・供花にご賛同いただき、有難うございます。

先程、通夜を終えて、戻りました。

94歳まで天寿を全うしての大往生だとご家族の方も言っておられました。

20年ほど前に奥様が亡くなられた時に、ご自分の戒名を

「禅徳院庭範治球居士」と付けていたのだそうですが、

「庭球」の文字が組み込まれていて、流石にテニスをこよなく愛した菅谷さん

ならではだなと感じました。

通夜には直接指導を受けた太田(川端)優子(S59卒)さん、

青塚(橋本)美佐(S61卒)さんはじめ、能勢さん、干場、深谷さん、

太田正人さんが参列しました。

安川さんも先程のメールで書いていらっしゃいましたが、

昨年の東北戦の時に応援に来てくださって、

帰る時には、また応援に来たいと言ってらした(青塚さん談)そうです。

90歳を超えても、いつも庭球部のことを心に留めて下さっていた

菅谷さんに改めて感謝申し上げるとともに、心からご冥福をお祈りしたいと思います。

                        平成31年4月1日    干場信司


□ 森田穣君逝く       中嶋 博(昭和40年卒)

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昭和36年同期入学・入部の森田穣君が2018年(平成30年)5月19日に亡くなりました。

78歳でした。

2015年(平成27年)卒部50年の同窓会には、不調を押して参加してくれました。

森田君は身長180p・体重100s超の巨漢で、麻生高校出身で柔道部の猛者だったが、

歳を食っていて柔道では耐えられないのでテニス部に入部したとのことだった。

医進だったので、教養の1,2年生時代に猛烈に練習していた。

持ち前の性格で北海道学生庭球連盟の組織化に、尽力されました。

北海道の学連の幹事として、地位の確立と強化のために、

全国の会議で頑張ったと聞いています。また医学部庭球部の創部にも関わった。

体格からもわかるように、酒豪・美食家で、また家は開業医で裕福だったので、

同期や後輩ともども世話になった人は多いと思う。コートに時々顔を出してくれ何かと

気にかけていてくれた。 駄洒落を連発し、雰囲気をやわらげ、ムードメーカーだった。

医学部だったので2年遅れの昭和42年卒で、北大医学部放射線科の教官となり、

2003年(平成15年)に定年退官(名誉教授)。 当時注目されだした、

血管造影の研究を始められた。  教育の面は放射線技師の養成などに尽くされた。

定年後に北海道IVR研究所を作り、「IVRの歩んだ道、歩む道」を日本IVR会誌23(2008)に

特別寄稿している。

7月のお別れの会には、能勢先輩と一緒に参列した。

現在花形のIVR(InterventionalRadiology、画像化治療)の草分けで、関係の医師や

放射線技師などが主たる参列者と思われた。

IVR(アイ・ブイ・アール)はX線やCT、超音波などの画像診断装置で体の中を透かして

見ながらカテーテルなどで治療するもの。

生者必滅とはいえ、同期の森田君の逝去は寂しい限りです。

冥福を祈ります。合掌