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先程、通夜を終えて、戻りました。
94歳まで天寿を全うしての大往生だとご家族の方も言っておられました。
20年ほど前に奥様が亡くなられた時に、ご自分の戒名を
「禅徳院庭範治球居士」と付けていたのだそうですが、
「庭球」の文字が組み込まれていて、流石にテニスをこよなく愛した菅谷さん
ならではだなと感じました。
通夜には直接指導を受けた太田(川端)優子(S59卒)さん、
青塚(橋本)美佐(S61卒)さんはじめ、能勢さん、干場、深谷さん、
太田正人さんが参列しました。
安川さんも先程のメールで書いていらっしゃいましたが、
昨年の東北戦の時に応援に来てくださって、
帰る時には、また応援に来たいと言ってらした(青塚さん談)そうです。
90歳を超えても、いつも庭球部のことを心に留めて下さっていた
菅谷さんに改めて感謝申し上げるとともに、心からご冥福をお祈りしたいと思います。
平成31年4月1日 干場信司
昭和36年同期入学・入部の森田穣君が2018年(平成30年)5月19日に亡くなりました。
78歳でした。
2015年(平成27年)卒部50年の同窓会には、不調を押して参加してくれました。
森田君は身長180p・体重100s超の巨漢で、麻生高校出身で柔道部の猛者だったが、
歳を食っていて柔道では耐えられないのでテニス部に入部したとのことだった。
医進だったので、教養の1,2年生時代に猛烈に練習していた。
持ち前の性格で北海道学生庭球連盟の組織化に、尽力されました。
北海道の学連の幹事として、地位の確立と強化のために、
全国の会議で頑張ったと聞いています。また医学部庭球部の創部にも関わった。
体格からもわかるように、酒豪・美食家で、また家は開業医で裕福だったので、
同期や後輩ともども世話になった人は多いと思う。コートに時々顔を出してくれ何かと
気にかけていてくれた。 駄洒落を連発し、雰囲気をやわらげ、ムードメーカーだった。
医学部だったので2年遅れの昭和42年卒で、北大医学部放射線科の教官となり、
2003年(平成15年)に定年退官(名誉教授)。 当時注目されだした、
血管造影の研究を始められた。 教育の面は放射線技師の養成などに尽くされた。
定年後に北海道IVR研究所を作り、「IVRの歩んだ道、歩む道」を日本IVR会誌23(2008)に
特別寄稿している。
7月のお別れの会には、能勢先輩と一緒に参列した。
現在花形のIVR(InterventionalRadiology、画像化治療)の草分けで、関係の医師や
放射線技師などが主たる参列者と思われた。
IVR(アイ・ブイ・アール)はX線やCT、超音波などの画像診断装置で体の中を透かして
見ながらカテーテルなどで治療するもの。
生者必滅とはいえ、同期の森田君の逝去は寂しい限りです。
冥福を祈ります。合掌